医僧の軌跡 ~医僧誕生の秘密のうら話~
私が開院するまでの道のりなどをこちらにまとめてみました。ぜひお読みください。
「覚悟しておいて下さい」
平成元年4月、突然父が脳内出血で倒れました。私が大学3年生のときです。
手術できる部位ではなく90%以上生きる確率はないといわれました。
昨日まで元気に働いていた父が、病院のベットで酸素マスクをして寝ている。医者は「覚悟しておいてください」と。
正直、何がおきたのかわかりませんでした。もしかしたら父親がいなくなるかもしれない。
「あ、これ僕がお寺を継ぐしかないんだ。継がなきゃダメなんだ。」
現実を受け入れよう。
現実を受け入れなければ・・・
人生は無常だな。何が起こるかわからない。未来はだれもわからない。
自分で何とかできなければ。父は自らの身を犠牲にして、言葉では表せない大切なものを教えてくれたと感じました。
あえて言うなら、仏教の根本原理の「無常」を身をもって教えてくれたと感じたのです。
世の中は、常ではないぞ!と。
悔しさと有り難さで涙が止まりませんでした。
時速130kmでの交通事故
大学卒業後、交通事故に大学を卒業し鍼灸師の免許を得、僧侶の資格を取る覚悟ができた時、父は奇跡的に後遺症はあるものの目を覚ましました。。
しかし、追い討ちをかけるように、その約9カ月後の平成2年1月15日私は、交通事故をおこしてしまいました。
幸い相手はなく自損事故でした。北陸自動車道(高速道路時速130㎞)で交通事故。3回転宙返りのような感覚の横転事故。
自動車の原型がないほど大破していましたが、運転席だけは守られていた。自動車は当然廃車。
この事故によって私は変わりました。ようやく気づいたといってもいいかもしれません。
正直に告白すると、それまでほとんどしたことがなかったシートベルトを、事故の3分前にしたのです。
3分前に何かを感じ、手が自然とシートベルトへ伸びていました。おそらく、シートベルトなしではこの世にいなっかたとおもうのです。
事故はスローモーションのビデオを見ているようでした。今でもよく覚えています。
そのスローモーション中に、「自分は何か大きな力によって守られている。生かされている。その力は目には見えないが、はかり知れないほど偉大だ」と気づいたのです。
その力こそが“いのち“であり、阿弥陀様である。陰の力である。お陰様だと深く感じました。
その陰の力に感謝して祈り、信仰を元にした生活がそれからスタートいたしました。
人生は思い通りにならないからこそ価値がある。そして何を学ぶのか。自分は何のために生まれてきたのか。どのように生きていけばよいのか、自分の役割、生きる使命その答えがわかりました。
それは、目には見えない陰の力の有難さを多くの人に伝え、信仰を根底とした生活を営んでいただくことが私の使命であると、そう理解したのです。
やる気満々・・・でも治療効果が出ない
鍼灸大学を卒業してすぐ、はり灸師として病院に勤務しました。
新しい病院で、立ち上げから任せられ、診察室のレイアウトから準備品など先輩に相談しながら行いました。
22歳の若造はやる気満々!!!
はり灸治療は、東洋3000年の歴史と伝統の医学です。はりを教科書どおり刺せば治ると思っていました。学校で習ったつぼへ、はりやお灸を施していきました。
しかし、そのうち、「治らん。」「まだ痛いのだけど。」「変わらん。」・・・・・グサッ とくる言葉の数々をもらいました。
患者さんの悩みや愚痴、つらい症状を正面からきいて、受け止め、どうしようもないことまで抱え込んでしまったのです。やる気はあったのですが、精神的にとても堪えました。
教科書に書いてある通りにしても治らない。なぜ?はり灸治療はツボに刺せばいいのではないか?どうしてよくなる人とよくならない人がいるんだろう?どうして、同じツボに治療しても治る人と治らない人がいるのだろう?良くなる人と、よくならない人の違いは何か?治療時間が問題なのか?
様々な疑問と想いが交錯しながら一人に1時間以上かけて治療したこともありました。
はりをたくさん刺せば治るのか?と思い、30本以上刺入して治療したこともあります。それでもそんなことでは、治療効果があがらない日々でした。
でも、それでも、来院者の方からいただいた「有難う。」「助かった。」などの言葉を励みにがんばりました。
そんな悪戦苦闘しているうちに、1年という時間はあっという間にすぎました。
これではあかん!
これではあかん!と思い経絡治療を学び始めました。
経絡治療は東洋医学の古典的な方法だが、難しい。
それでも何とか勉強して、実際に経絡治療を中心とした治療をはじめました。
当時、1日に20~30人ほど治療していました。この人数をみさせていただくことは当時の自分に撮ってはとても疲れを感じるものでした。
まず気づいたのは、はりをただ刺してもダメだ。ということ。少なくとも思いをこめて治療するということ。
次に名人と言われる人の共通点を見つけました。治療がはやい。治療が流れるようで時間が短い。大工さんでも料理人でも一流は仕事がきれいで速い。治療時間が長いのは上手くないということでした。
名人と弟子が、同じ患者に同じつぼをつかって同じ道具で治療しても結果が違う。要するに治療者によって効果が違う。実は針灸は誰がやっても同じではない。など・・・いろいろ気づきを得ることができました。
胸が苦しい
そのころ、突然 「あ~・・・」 胸が苦しい・・・・・なぜか手の皮膚はかさかさに荒れ、顔色に若さのつやがない。
寝ても寝ても眠たい。朝起きるのがつらい。そのうち、突然咳き込みだしたり。突然背中や腰が痛くなったり。
自分の命をすり減らして治療している感じがしてきていました。(身体がもたない。やめようか。そんな思いもありました。)
そんな時、鍼を刺すことなく痛みが治まった経験をしました。
何なんだ? 何かある。 いったいどうして針を刺すこと無く痛みがなくなるんだ?・・・
何をしたかというと、「楽になったイメージをして」思いをこめて祈ったのです。ただそれだけ。
そのとき私の中にスイッチが入りました。
気だ!気を診断できれば・・・・!
気診との出会い
ある先生の治療を見て驚嘆しました。
今となっては違和感はありませんがいわゆる接触治療、そして気功治療でした。
針を接触させただけで治っている。手を触れずに治る!!!!先生は、首の筋肉をつまんでいるだけ?患者さんは3分ほどの治療でも喜んでいらっしゃいました。
治療は3分でも、雰囲気はゆったりとしていました。そして、この場の感覚はとても気持ちよく感じたのも覚えています。
交通事故のときに感じた、何かに守られ、気持ちよく包まれているている感覚に近いものを感じたといっていいでしょう。
そして、実際治療を受けてみたところ曇り空が青空に変わる爽快感を味わうことができたのです。
あっ、これだ!!!
「治療は針をささねばならないという事はないんだ。患者さんが喜べばいいんだ」
「治療の真髄はは気の調整なんだ」
私が探していたものはこれだと直感しました。捜し求めてきたものが目の前にあったのです。そのときのワクワクは今でも忘れられません。
平成6年、小田一先生、鍼灸気診研究会との出会いです。
気診とは気の診断と治療のシステムです。頚部の筋肉をつまんで気を診断する検査法です。
それから気診を用いた治療をおこない、多くの人の苦痛を笑顔に変えるための修行が始まりました。
自分がつらい状態では人を癒せない。自分の治療が出来て初めて他人の治療が出来るだろう。まず、自分の治療をしよう、と。徹底的に自分の身体で実験した。気診で自分の状態を調べ、適応するツボを気診で見つけ治療していきました。
これが気診という気の診断ができるメリットだろう。治療がうまくいった時は自分の身体が楽になる。うまくいいかなかったら変化はない。 と。
自分の身体は正直なものです。
気診の修行を始めて、3年ほどたった頃でしょうか、気診のおかげで治療の効果がが劇的に変わりました。
気診により治療するつぼが分かるようになったり。その後、念仏の治療で腰痛が治ったり。自律神経失調症や更年期障害、うつ病が治ったり。聖書の言葉でも治療でき、効果がありました。気診ができてとても有難く思いました。
治療がスムーズに出来るようになるにつれて、自分自身の体調もよくなったのです。
そして、家族からも気診治療してほしいと頼まれる存在になった時、開院を決意しました。
寿楽堂 という治療院の名前の由来
人はみな、「長寿」を願い「安楽」を願います。寿とはいのちのこと。
院の名前を考えている時、私の脳裏には、いのちが楽しく、安楽な人たちが集まるお堂が思い描かれました。
そこで治療院の名前を、寿楽堂としたのです。
いっしょに、有り難い授かりものの「いのち」を楽しんでみがき輝かせましょう。